結成20周年イヤーを飾るくるり通算30枚目のシングル『琥珀色の街、上海蟹の朝』。20年目にして初となるR&B/ヒップホップ的なアプローチを試みながら、オーケストレーションを含む構築的なアレンジメントの独創性はやはり唯一無二であり、近年のトレンドである「シティポップ」との距離感も興味深い。また、国内外の社会不安ともリンクするようなヴァースの重苦しい雰囲気が、〈上海蟹食べたい あなたと食べたいよ〉というコーラスで一気に反転する瞬間のマジックは、ポップミュージックの持つ特別な力を感じさせる。9月にはベストアルバム『くるりの20回転』のリリースが発表され、10年目の「京都音楽博覧会」から、ウィーンアンバサーデオーケストラと共演を果たす「NOW AND 弦」へと賑やかに続いていく、くるりの2016年。その中でも間違いなく中軸となるであろう傑作シングルについて、岸田繁と佐藤征史に話を訊いた。(取材・文:金子厚武)

結成20年目のタブー解禁

 

―“琥珀色の街、上海蟹の朝”のR&B/ヒップホップのテイストというのは、これまでエッセンスとして曲の中に含まれていたことはあっても、今回のように全面に出ていることはなかったのではないかと思います。

 

岸田:もともとバンド組んだときのくるりっていうのは、器というか入れ物として、60~70年代以降の黒人音楽の要素を意図的に排除してる部分があったんです。っていうのも、僕ら2人がくるりの前にやってたバンドっていうのが、そのあたりからの引用が多いバンドやったんですよ。京都はホンマ、ロックバンドはみんなストーンズのフォロワーやし、ハードロックのバンドはレッド・ツェペリンのフォロワーが多くて、そういう人たちは意識的か無意識的か、村八分とかボ・ガンボスがやってたことと、何かしらリンクすることをやってたんですよね。あと当時クラブシーンではR&Bとかアシッドジャズが盛り上がってたこともあって、黒い音楽をやるのが普通っていう土壌ができてたので、僕らもそういうのに憧れてたんです。

 

―でも、くるりになってからは、それとは違うことをやろうと。

 

岸田:何となく、そういうのに対する反発なのか、逃げなのか、意図的に排除して、なのでくるりの20年間の歴史っていうのは、その後もそういうのはできるだけ取り入れないようにやってたら、アメリカ以外の、ヨーロッパのようわからん国のビートとか、古典音楽、クラシックとか、そういうところからのインスパイアが、独自の入れ物を作っていった感覚というか。だから、僕らの中でデフォルトになってるグル―ヴィーな感覚っていうのは、一般社会のそれとはだいぶずれてて、ヨーロッパ的なノリっていうんですかね。リズムだけじゃなく、和音とかも。なので、今回みたいな黒人音楽的な入れ物を使ったのは、くるりでは初めてなんじゃないかな。

 

佐藤:そっちに行っちゃうと、どうしても焼き直しになるというか、悪い言い方をすれば、そういうバンドっていっぱいいるじゃないですか?

 

岸田:入れ物が強いからね。

 

佐藤:それはやりたくないっていうか、考えなくても避けて行ってたものやと思うんです。自分たちなりに、何かのエッセンスみたいなものに同調できたときに、世の中に出るもんができると思うんですけど、そこは避けてたというか、その機会がなかったってことやと思います。

 

―黒人音楽は身体性との関係が強固だから、日本人がやるとどうしても焼き直しというか、借りものっぽくなってしまうというイメージもあったのでしょうか?

 

岸田:それはね、白人でも、あるいは北海道の人でも全然違うから、突き詰めていったら難しい話ですけど、たまたま近年のくるりが向かってた方向っていうのが、こういうタイプの入れ物とは違うものを使ってたってことですね。ただ、入れ物は変えたんですけど、乗ってる料理は一緒の感じっていうか、「初めて和皿にスパゲッティ入れてみたけど、これはこれでええやないか」みたいな感じなんかな(笑)。

 

―では、なぜ今までやってこなかったことを、このタイミングでやろうと思ったのでしょうか?

 

岸田:今回新曲を作ったのって、スタッフの「20周年やし、何かしようや」って話からスタートしてるんですけど、20周年の人周りに多いから、「みんななんかやってるんちゃう?」って、最初は消極的だったんです。でも、マネージャーが「新曲作りましょう!」って、わりと熱く言ってきたんですね。で、せっかくこのタイミングで新曲作るんやったら、新しいことやりたいと思ったんですけど、今単純に新しいことをやったら、誰にも理解されへんものができる自信があったんで、「それ今くるりでやんのもねえ」っていうのがあったんですよ。なので、一回タガを外して、既成の入れ物を使って作ってみたらどうなるかなってやってみたら、なかなか面白いもんができたなって。

 

佐藤:たぶん、くるりが好きなお客さんたちが一般的なイメージとして喜びそうな曲っていうのもあるんですよね。ボボくんいわく、「目の前に広がる道系」って言うらしいんですけど(笑)、それを20周年っていう区切りでやるかっていうと、そうではないなっていうのはみんな思ってて。このタイミングだからこそ、自分たちが新鮮に思えることをやりたいっていうのが最初にあったんです。

 

岸田:いわゆるくるりっぽい候補曲っていうのもあったんですよ。ただ、20年やってるバンドやから、みんなが「くるりっぽい」って思い込んでる曲って、古くなってるものがほとんどなんですよね。“ばらの花”っぽい曲とか、“ハイウェイ”っぽい曲って、「何十年前やねん?」ってことになるんで、新しいもので、何かしらフックのあるものを作りたいと思って、最初は手探りでやり始めたんです。

 

―どこから作り始めたんですか?

 

岸田:この曲って、4つの循環コードがずっとループしてるんですけど、まずそれだけをメンバーとかスタッフに聴かせたら、みんなオーってなったんですよ。「いや、そりゃそうでしょ。これいろんな人がやってることで別に作家性ないし」って思って、最初は曲作るのもそんなに乗り気やなかったから、その「オー」を「えー?」に変えてやろうって気持ちになって、いろいろやり出したんです。ただ、ソウルっぽい循環コードで歌ってみたら、やっぱりソウルフルな歌になるんですけど、でも歌唱力がないんですよ。日焼けした女性シンガーがやりそうな感じ、MISIAとかLeyonaちゃんとか、そういう人に歌ってほしい感じで、俺が歌ったら、よほどじゃない限りギャグになる感じがしたんですよね。

 

―だから、ラップになっていった?

 

岸田:一回ギャグになってもいいから作ってみようと思って、歌詞も書いて、歌ってみたら、ホンマにオモロかって、そのうちそれ聴かせたいなって思うんですけど(笑)。とにかくこれだと誰かのコピーみたいになってまうし、これで歌詞に「木漏れ日」とか入ってたら、「プププ、アホか」って感じになるんで(笑)、とりあえず、今歌いたいことっていうか、今歌う感じの歌詞を無理やりにでも書いていったときに、これはラップの方がいいかもってなって、実際やってみたら、何となく合うかなって思ったんですよね。

 

ブラックミュージックの時代感

 

―ビートの構築に関してはどのようなイメージだったのでしょうか?

 

岸田:歌詞をいろいろ試してる中で、ビートもいろいろ変えましたけど、あんまり今っぽいビートやなくて、オールドスクールなヒップホップの、90年代風のビートっていうんですかね? そういう方が自分としてはハマりがよくて。で、全部ラップっていうのもなって思って、歌も入れたいけど、ソウルフルなんもなって思ったから、童謡みたいなメロディーをつけてみたら、それはそれで面白くて、だからパズルのように、組み合わせを前後させながら作りました。

 

―ドラムは今年の「NOW AND THEN」にも参加していたクリフ・アーモンドが叩いていて、彼の存在があったからこそ、今回みたいな曲調にチャレンジしたっていう部分もあったのかなって。

 

岸田:いや、誰でもできるとは思うんです。クリフのドラムは誰にでもできるわけじゃないけど、あんまりそこは関係なくて、クリフがやってくれたことは効果的ではあったんですけど、でも別に打ち込みでもよかったし。ただ、今一緒にやってる人たちでレコーディングしようってことやったんで、人選についてどうこうはなくて、ファンファンは休んでるからトランペットのパートは書かないとか、自分だけ歌うのもあれやから、女の子に歌ってほしいなって、人を呼んだくらいですね(UCARY & THE VALENTINEが参加)。

 

佐藤:結構かっちりしたデモがあったんで、最初はその世界観で作ればいいと思ったんですけど、初めて生でみんなでレコーディングしたときに、そこからできていったものがあったんですよね。いい感じで録れた後に、クリフがタムの上にシンバルを置いたり、ホントにラフに録ったものの中から生まれたものもあって、逆にそれが自分たちっぽいのかなって。デモよりわかりにくくなってる部分も多々あると思うんですけど(笑)、その場その場のノリで作っていけたのがよかったと思いますね。

 

―今ってネオソウルのリバイバルみたいなことが言われてると思うんですけど、何かそういう時代感を意識した部分はありましたか?

 

佐藤:録った後の方が、ネオソウルとかって言葉をよく耳にするようになった気がします。ただ、この曲って繁くんも言ってたように、すでにあるフォーマットからスタートしてるんで、「これっぽく」ってなっちゃうと、楽しみがないっていうか。さっきも言ったように、かっちりしてるんやけど、その場のノリで行けたっていうのが一番よかったことかなって。

 

岸田:くるりは「何かに似そうになったらやめる」って傾向があって、「この曲のここはビートルズっぽくしよう」とか、意図的に何かをする場合は別として、むしろ何か有名なもんに似そうになってきたらやめるし、逆に有名じゃないものに似そうになったら、面白いからやるっていう(笑)。この曲で俺が何か風にやってみようと思ったのは、「MC漢風のフローを一瞬だけやってみよう。殴られるかもしれへんけど」とか、最後弦が重なってくるところで、バルトーク風の、プレイヤーが嫌がる半音の積みにしてみようとか、それくらいですね。

 

―「90年代風のビート」と言っていたのも、あくまでイメージとしての「90年代風」?

 

岸田:そうですね。こういうビートの音楽でいうところの、2拍目4拍目にしっかりスネアが入ってて、そこでクラップが鳴ってるみたいなのって、最近あんまりない感じがして、もっと2拍3連っぽかったり、もっと細かいツブツブが入ってたりするじゃないですか? あれもかっこいいと思うんですけど、今風過ぎるんで、それよりあんまり説明できひん方がかっこいいから、「何となく今っぽいんちゃう?」くらいの仕上がりかなって(笑)。

 

―さっきの佐藤さんの話で言うと、もとのかっちりしたデモをクリフが崩すことによって、面白いバランスになったのかなって。

 

岸田:クリフだけじゃないというか、この曲って野崎(泰弘)くんの鍵盤がかなり独自色を出してるところもあるんで、佐藤くんもそうですけど、それぞれのプレイヤーの解釈したニュアンスが入って仕上がってると思うんです。最初にデモを作った段階だと、もっと90年代っぽいっていうか、00年代に一発屋やったR&Bシンガーのバックトラックみたいな感じやったんですよ(笑)。今のネオソウルとかはたぶん佐藤くんの方が聴いてて、俺は別に夢中で聴いてるわけじゃないんですよね。前出たディアンジェロのやつとかは好きで、面白かったから結構聴きましたけど。

 

―それって『Voodoo』のことですか?

 

岸田:じゃなくて、新しいやつ(『Black Messiah』)。あれは変な感じで面白かったから聴いたし、『Voodoo』ももちろん聴いてましたけど、でもあんまりこう、深く参照して取り入れようとは思ってなくて、コード進行とか、ベースにしても、言ったらスティーヴィー・ワンダーとかスライ・ストーンとか、そういう人たちがよくやってたパターンのひとつやし、それをすごい掘り下げたわけじゃなくて、シンプルに「こうですよね」って感じ。ただ、うわものでいろいろチャレンジしてることっていうのは、この前の“ふたつの世界”とかでやってることとも地続きっていうか、例えば、通常ならここはドミソやってところで、ソの#入れる人はいいひんやろとか、そういうのは僕ら平気で放り込んでいくんですよね。くるりはそういう意味では整理されてない音楽で、バルトークとか、違う音楽からのインスパイアを平気で放り込むスタイルなんで、器がポップなんやったら、どんどんわかりにくくしようみたいなんが働いて、そこからはせめぎ合いですね。

 

―ベーシックになってるのはループでも、展開の多さだったり、いろんな楽器の抜き差しだったり、転調だったりっていうのは、非常に構築的ですよね。

 

岸田:スペシャルな一筆書きのような曲か、あるいはバンドでジャムセッションをして、自然発生的にできたものをすぐ録ったりとか、そういうマジカルなもん以外は、最近のくるりは構築でしか作らないですね。

 

佐藤:ベーシックは一日で録ってますけど、その後結局3週間くらいレコーディングしてますからね(笑)。

 

「幻想」を歌う、くるりなりのシティポップ

 

―ブラックミュージックにインスパイアされた音楽性で、なおかつ歌詞には〈beautiful city〉という言葉も出てくるので、いわゆる「シティポップ」のブームを意識した部分はあったかと思います。実際に、お二人は現在の状況をどのように見ているのでしょうか?

 

岸田:シティポップって、もはや一人歩きしてるキーワードなので、一概には言えないですけど、もしかしたら、地域性のある音楽っていうことに対する反語かもしれへんし、シティなのかタウンなのか、メトロポリスなのかメガロポリスなのかは、アーティストそれぞれの環境によって変わってくることなんかなって。例えば、僕は山下達郎さんの音楽好きですけど、彼の作ってる音楽を自分の中のシティポップっていう文脈では聴いたことがなくて、ceroだったり、そういう文脈で語られてる最近の人たちも、僕の中ではシティっていうよりタウンっていうイメージなんですよね。「阿佐ヶ谷でバーやってるから、あの辺の感じやないの?」っていう、勝手な解釈ですけど(笑)。

 

―つまり、岸田さんの中では現代において「シティ」という感覚はピンと来ない?

 

岸田:昔思ってたシティ感、キラキラした、バブリーな感じとか、泥臭さを感じさせないものって、今の若い人たちから見て、もはや幻想ですらない時代に差し掛かってる感じがするんですよ。例えば、都市文化、街角文化的なものが、インターネットやSNSに取って代わられてる印象もありますし、東京っていう都市の象徴みたいなものの実体もかなり危うい、あるいは見えにくい状況やなって。シティポップとして題材にすべきものがあまり見当たらない感じがして、ceroとかを聴いて思うのは、さっきタウンって言いましたけど、もっとミニマムな、「町内」って言うとちょっとイナタいですけど……この間アナログフィッシュの新しい曲(“No Rain (No Rainbow)”)を聴いたときも、そういう感じを受けたんですよね。すごくミニマムな、きれいな言い方すると、等身大のシティ感みたいな。でも、僕はシティポップって言うと、久保田利伸のバラードとかを期待したいっていうか(笑)。

 

―キラキラしてますもんね、久保田利伸は(笑)。

 

岸田:でも、そんなものはこの2016年の7月に存在しないっていう、誰もプールバーとか行かへんしみたいな、そういう印象ですね。ただ、ポップミュージックって、何らかの幻想を歌うこと、みんなの憧れを歌うことって、魅力のひとつやと思ってて、じゃあ、今それは何なのかっていうのは、自分の中の深いテーマなんですよ。自分自身がそういうモードなのか、時代がそういうモードなのかはわからないですけど、人が何か歌ってるのを傍から聴いたり、あるいは自分が何を歌いたいかって思い浮かべると、街が死んでる感じがするんですよね。もっと森羅万象を歌わなあかんかったりとか、何て言うかな……シティポップって言葉からはどんどん遠ざかることばかりがテーマになっていってて、『THE PIER』とかも全部そうだったんです。そういう中で、今回は場所が見えるようにしたいと思って、それで「上海」が出てきたんですよね。

 

―つまり、「東京」ではなく「上海」をモチーフにすることで、曲の中に幻想としてのシティ感を作り出そうとした?

 

岸田:今ニューヨークに住んでるドラマーが、ニューヨークで流行ってるテクニックとかシンバルのテイストを持ってきて、歌詞に「上海」って言葉が入ってて、上海行ったことあるからイメージはあるんだけど、実際は日本海沿いの田舎で歌詞を書いてて、普段は新宿あたりの空気に触れてて、でももともとは京都の人。その時点ですごく複合的なものになってて、それぞれの良さを引き出すっていうか、それがあって当然っていうスタイルというか、こういう曲が自分らなりのシティポップ……っていう言い方があってるかはわからへんけどね(笑)。

 

―佐藤さんはいかがですか? シティポップという言葉について。

 

佐藤:シティポップって日本固有のもんだと思うんですけど、海外のソウルフルなもんに憧れて、日本でそれを自分たちの音楽としてやろうと思ったら、さっき言ったように焼き直しをしてもしょうがないわけで、そういう中で大瀧詠一さんとか山下達郎さんとかが色々積み重ねてきた、匠の技みたいなもんやと思うんですね。もちろん、音で遊ぶ人っていっぱいいると思うんですけど、その遊び方の違いというか、自分たちの音楽はエッセンスがふざけた方に寄ってるんですけど、シティポップっていう括りは、シティっていうものがあったときの時代感っていうのを、音で遊んではる人たちっていう括りなのかなって。そういう意味で言えば、自分たちも同じベクトルにはあると思うんです。

 

―その音で遊んでる感じっていうのは、過剰なまでにきらびやかなイントロから、後半のオーケストレーションに至るまで、間違いなく今回の曲からも感じられました。

 

佐藤:やらない人って絶対やらないじゃないですか? この間10-FEETのシングルを聴いたんですけど、2曲目の最後に、まったく脈絡なく「ダダダダ、ダダダ、ダーダー」って入ってて(笑)、それも一種のお遊びじゃないですか? まあ、あれはかなりあからさまですけど、そういう遊びがいろんなところに散りばめられてて、歌詞を読みながら聴いたら、一粒で2度3度美味しい作品っていうか、そういうものにはなってると思います。

 

「行動を起こす」ということは大げさなことじゃない

 

―さきほどの「キラキラしたシティのイメージはもはや幻想ですらない」という話にも通じるかと思いますが、ヴァースの歌詞はかなりきな臭い、昨今の社会不安ともリンクするような、強いネガティヴィティを感じさせる内容になっているのも特徴ですね。

 

岸田:ここ何年かは何となくネガティヴな歌詞は書かないようにしてたんですけど、でもそれをやってみようと思いました。ただ、もともとそういうのはあんまり書けないタイプなんですよ。ヴァン・ヘイレンがずっと笑顔でギター弾いてる、あれが好きなんです(笑)。ネアカなんですよ、どちらかというと。まあ、ポップソングを作るときに、曲を使って何かを訴えようとか、何かを変えてやろうって気持ちは……まったくないわけではないけど、でも別にそんなことは僕にとって重要ではなくて、むしろ自分がやってることを更新して、それが社会貢献なのか何なのかはわからないけど、何かになりゃあいいくらいの感じなんですよね。で、今回は普段使わん器を出してきたことやし、歌詞に関してはとにかく……吐き捨てるような言葉をそのまま使ってみようと思って。

 

―器が違うから、歌詞のアプローチも違うものを試してみたと。

 

岸田:じゃあ、それが何のためかって言われると、おそらくサビとかで歌うちょっとした本音とか、そういうものを輝かせるためでしょうね。Aメロから頑張っちゃうと、サビで大したこと言えなくなるから、しょうもないこと言っとこうみたいな。なので、普段からネガティヴな生活をしてるわけじゃないですけど、今生活してる中で普通に感じるネガティヴィティで、現状紹介をしておくみたいな感じですね。

 

―これだけ連日のようにテロの報道がなされたり、世界の情勢が緊迫している中で、日常生活で普通に感じるネガティヴィティも増大してると思うんです。でも、その一方では今も無関心が横行してる。そういう状況に対する警鐘だというのは言い過ぎでしょうか?

 

岸田:なぜテロが起こるのかとかも、具体的な事象を掘っていけば、「こういうことか」ってわかることもあって、それでドヨーンとした気持ちになることもあるけど、でもドヨーンとした気持ちになるのは嫌やから、広島東洋カープが強いうちにもっと野球に夢中になっておこうとか、あるいは日々の生活の中でもっとポジティヴになれる要素を探そうとかしか考えてないです。

 

―今の社会のムードと曲作りとの接点に関してはいかがですか?

 

岸田:ソングライターとして、何か世間にコミットしないといけない要素っていうのがあるとしたら、「笑い飛ばしてはいけない」っていうか、「どうせ何とかやし」とか、「前の都知事はどうこうで、こんなんしか出てけえへんのか」みたいな、シニカルな態度……自分もそういうときはあるけど、でもそういう姿勢を作品の中に入れるのはアカンと思ってるんです。政治的な要素を入れるとか、そういうのは僕らの役割ではなくて、むしろちょっとぐにゃんとなってる世の中全体のムードの中で、ぐにゃん代表としての自分を、嘘をつかずに投影するってことが、今一番手触りとして聴いてもらいたいもんになりますし、何年か経った後に振り返っても、「この時代はこうやったんや」って、振り返ることができる、はっきりとした物言いにもなるやろうから。

 

―つまり、ネガティヴなムードのヴァースではなく、〈上海蟹食べたい あなたと食べたいよ〉っていうコーラスのパートが持つムードこそが、言ってみれば、この曲の「言いたいこと」であるというか。

 

岸田:そうです、そうです。ラブソングの体を成してますけど、シチュエーションは何でもよくて、「この人に上海蟹を食べさせたい」でも「上海でデートしたい」でも何でもいいんです。ここから先はご想像にお任せしますというかね。

 

佐藤:さっき話されてたネガティヴィティみたいな感覚って、世界の人たち誰でも、意識せずともそういう感覚は持っていて、それをどう前向きに変えていくかっていうのは、ホントに人それぞれやと思うんです。村上龍が昔言ってたのは、「気持ちいいセックスをした後に、人を殺したいなんて絶対思わない」とか「マリファナを吸ってる人が、戦争なんてしたいと思わない」ってことで、「そらそうやな」っていうか、それも当てはまる人がいれば、そうじゃない人もいると思うんですね。すごく個人的な話で言うと、昔から四つ葉のクローバーを探すのが好きで、ずっと集めてたんですけど、最近それを持ち歩くようになりまして、大変そうな人を見つけたら、あげようと思ってて(笑)。そういう感覚と〈上海蟹食べたい〉ってサビは、すごい繋がる気分やなって思うんですよね。

 

岸田:今って、「行動を起こす」っていうことが、大げさに捉えられ過ぎてると思うんですよ。生きてると自分が変わらないといけない瞬間っていうのがあって、もちろん生きてれば自分の人格っていうのが形成されて行くわけですけど、その人格だけで生きられるほど、人の一生は甘くないと思うんですよね。ただ、時代によって自分が変わらなくても周りが変わってしまうような物事も起こるわけですし、何かやってみたけど意味がなかったってことに絶望するから、駅の本屋とかに自己啓発本がいっぱい並ぶわけですよね。「左足から歩き出すようにすれば、いいことあるかも」ってやって、何かが変わったって人はあんまりいいひんと思うけど(笑)、でもひとつひとつ何かやっていけば、何かいいことが見つかる可能性が無きにしも非ずなわけで。

 

―行動を起こさなければ、変わることも変わらないですからね。

 

岸田:無理やりシティポップの話につなげるわけじゃないですけど、自然が幅を利かせてるような状態じゃない、張りぼての中で暮らしてると、幻想として周りが変わってるかのようなムードに包まれるので、僕それは否定派なんです。まあ、実際僕もそういうところに住んでるんで、そういうぼやんとした中で、「左足から歩き出した方がええんちゃう?」みたいな歌を歌うの得意なんですけど(笑)、そうじゃなくて、ぼやんとしたところからはっきりモノ言うたろうっていう、そういう感じで作ったところはありますね。

 

岸田繁が語る「上海」へのノスタルジー

 

―最後にもうひとつお伺いしたいんですけど、そもそもなぜ「上海」だったんですか?

 

岸田:歌ってみたら、フローがよかったんです。最初「天津」かなって思ったんですけど、「上海」の方がよくて。あと自分の母方の祖父が昔駐留してたり、あるいは、うちの親父も昔天津に住んでて、小さい頃は中国によく行ってて、上海に友達もいるし、ライブもやったし、上海蟹も実際食べたし(笑)。だから、ちょっとパーソナルな、自分の中のノスタルジックな上海に対する視点とか、そういうイメージもあるんですよね。

 

―なるほど。

 

岸田:まあ、個人的なことやから、曲には特別関係ないけど、万博のときにひさしぶりに上海に行ったら、かつてのバブル期の日本とか、あるいはそっからしばらくの、僕らが初めて上京した頃の東京の街が持ってた超ポジティヴなムードとか、そういうのをすごい感じたんです。さっき「幻想」って言いましたけど、都市的な幻想を抱きやすいポジションではあったなって感じですね。実際はスモッグでビルの上も見えへんような感じで、山手線みたいな地下鉄の駅前は、どこも同じようなかっこいいビルが建ってて、H&Mとマックスマーラとボディショップとか、そういうグローバリゼーションの巣窟みたいな、全部の駅前がそんなんで。

 

―ある意味、東京以上ですね。

 

岸田:20年ぶりくらいに行ったんですけど、結構衝撃でした。でも、昔ながらの中国の都市、いわゆるピンク街みたいな、危ないところにも行きましたけど、それはそれで魅力的っていうか。ホンマ個人的な話やけど、作者の視点としては、かつてシティポップの題材とされてたようなシティ感って意味で、やっぱり東京の街はモチーフにはならなかったんです。新宿にある「上海小吃」だったらいいんですけど(笑)。やっぱりイメージってすごく大事で、この曲のイメージは渋谷に寄らないようにしようとか、ニューヨークに寄らないようにしようとか、四条河原町に寄らないようにしようとか、そういうことはいろいろ考えました。もっとエキゾチックでありたくて、だから那覇やったらよかったのかもしれない(笑)。じゃあ、この曲がそのまま上海かっていうと、それはそれで違う気がするんですけど、でもイメージとしてはやっぱり上海だったんですよね。

     
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